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1件〜100件
バンコクのラーメン店「ラストラーメン」ではちょっと変わったメニューのヴィーガンラーメンがあります。 地図 モノレールBTSウドムスク駅から徒歩2分 営業時間:朝10時から夜10時まで 店内 店内で使われているイスはビール瓶を入れる木箱を模しており、屋台ラーメンの雰囲気を出しています。 また、扇風機がありますが、店内はエアコンが効いています。 お店は二階もあります。 思わず店内が工事中かと思いましたが、こういう内装デザインです! カウンター席にもあります。 メニュー ラーメンのメニューです。 ご飯もののメニューです。 おつまみのメニューです。 と、いうことでヴィーガン マッシュルーム ラーメンを注文、値段は79バーツ。 で、味のほうですが、 マッシュルームの出汁に塩ベースのスープなので、あっさりとしていで、細麺がスルスルの入っていき、あっという間に完食しました! このお店、夜は居酒屋としても営業していますので、お酒を飲んだ後にはピッタリのラーメンかもしれません!
最近、不漁の続くマナオ湾ですがそれでも時々、入荷しているのが天然物の黒鯛。 昨日は3.5キロの大物でした。 よく引き締まった身に甘味がある。…
「暑がり」・「寒がり」と「熱中症になりやすい」・「低体温症に陥りやすい」ということは、全く別のものと考えた方がよさそうです。「暑がり」・「寒がり」とは個人の感じ方であり、”実際の体温調節の働き” とは別物なのです。
先日、久しぶりにパラグライダーの地上練習に行きました。地元のサイトは追い風が吹く(離陸出来ない)シーズンオフに入ってしまいなかなか飛べなくなりましたが地上で立…
引き続きアジアの旅エッセイです。前回ご紹介したマミヤ狂四郎さんの『アジア裏世界遺産 とんでもスポットと人を巡る28の旅』は、著者みずから率先してトラブルに巻き込まれようとするフシがあり、一般の旅行者にはなかなか体験できないエピソードだらけでした。 一方、今回取り上げる宮田珠己さんの『旅の理不尽 アジア悶絶篇』(1995年)には、アジアを旅する人の多くが経験してきたであろう、ありがちなハプニングが並んでいます。 出だしからこんなふうに書くと〈凡庸な作品なのでは?〉と思われてしまうかもしれませんが、凡庸なエピソードを非凡な作品に仕上げてしまう点が宮田さんの凄いところ。マジでこの人、どうかしています…
バンコクにあるサムセンナイ郵便博物館にはタイの記念切手など珍しい切手やタイの郵便事業の歴史が紹介されています。 サムセンナイ郵便博物館への行き方 モノレールBTSサパーンクワイ駅で下車します。 駅のホームから博物館が見えます。 サパーンクワイ駅から博物館まで徒歩3分です。 営業時間:朝8時半から夕方4時半まで 定休日:月曜日、火曜日 入場料:無料 建物を入ると大きいポストがあります。 博物館は建物の2階にあります。 こちらが博物館の入口になります。 入口にはポストが置かれています。 館内には創立当初の郵便局員の制服が展示されています。 (新型ウイルス対策のためにマスクも着用) 壁にはタイ郵便事業の歴史を説明があります。 タイ郵便事業の始まり 1868年に即位したラーマ5世はチャックリー改革とよばれる様々な近代化改革を行いました。 そうした改革の中、郵便事業と電報事業の必要性を考え、弟のパヌランシ サヴァンウオン王子に郵便事業を計画を命じました。 パヌランシ サヴァンウオン王子は1883年8月4日にタイで初めて郵便局と電信局を設立し、1898年二つの局が統合され郵便電信局となりました。
今日はある方の心遣いに感激した話をシェアさせてください。 このブログの常連読者様に山梨県甲府市でAsia Farmというアジア雑貨のお店を経営されているO…
郵便局から日本へ荷物を送る。 さて、夏の服などを買った話をした。 荷物が増えた。ここに来た時はまだ肌寒い頃やったんで厚手の服も持ってきた。 服だけではなくて、いろいろ買い込んでるんで荷物が結構増えている。 本とか紙とかが嵩張って、しかも重い
タイの中級アパートで暮らす上で大きな問題の一つがムシだ。NPには女性が多いし、女性にはムシがキライっていう人が多い。だからこれはけっこう大きな問題で、オン...
プラチュアップキリカン海岸通りの週末恒例ウオーキングストリート。 たくさんの屋台、露店が出店し地元民、観光客で大賑わいです。 タイも物価上昇が…
こっちで買った超安い服など。 さて、杭州の6月はとても暑い。毎日ウォーキングしてたら汗だくだ。 こっちに来たのは4月、春の服で、暑くなるのは想定してたけど、現地調達で十分。 それで、そろそろ買いに行く。 なんせ、この時代、この国の物価は驚く
タイの果物といえば、何といってもドリアンです! 1年中タイではドリアンが売られていますが、収穫の時期は5月下旬から7月が旬の季節です。 ですので、その季節になると、タイの街のあちこちでドリアンが売られあの独特の匂いがしてきます。 私の妻もドリアンが大好きでドリアンの季節になるとテンションが上がり、値段は一個400バーツ以上と安い値段ではありませんが、待ちかねたように市場で買ってきます。 ドリアンが原因で、、、 私は15年以上もタイに住んでいますが、ドリアンの臭いが苦手で未だに食べられません。 以前にドリアンの臭いが原因でめまいを起こし、階段から落ちそうになったことも、、、 そんなある日、家の中でドリアンを食べている妻を見て、 私:「家の中でドリアンを食べるな!!!} これに対して 妻:「あなたも長いことタイにいるんだからドリアンの匂いに慣れなさい!」 とドリアンが原因で夫婦ケンカになりました。 その夜、妻がドリアンが原因でケンカになったことを実家に告げた告げたところ 妻の父:「やっぱり日本人だなー( ̄∇ ̄;)ハッハッハ(大爆笑)」 妻の母(ドリアン嫌い):「旦那が日本人なんだから、少し
さーて、それじゃスパンブリーの有名なワット・サンパシウの「ドラえもん寺」ぶり、写真でたっぷり紹介してくれようじゃないの。全部紹介しきれるかなぁ?ここを訪れ...
スイーツねたが続きます。 先月から本格的に試作を繰り返していた自家製チョコレートアイスクリームが完成しました。 ネーミングは”HAPPY DAR…
この前食べたミニピーカンボンが美味しすぎてシナボンでまたまたリピ!今度はキャラメルピーカンボンをテイクアウト!…
留学仲間たちと四川料理を食う。 さて、前述の留学生仲間。男性1人、女性1人だ。 どちらも強烈に頑張ってはる。とても羨ましい。わしは、ちょっとでもあやかろうと くっついてる。それで、今日の晩飯だ。 西湖の北東角にちかい街中に「川味観」という四
つい先日、お正月を終えたばかりなのにもう7月ですね。 今年も半分終わりましたが良い年にするべくスパートかけます! さて、今月のお勧めは「自…
西湖で噴水ショー。 さて、学園暮らしは続く。 久しぶりに、留学生でこちらに来て親しくなった日本人の方2人と食事に行った。 その帰り、折角やから、西湖のほとりを散歩してみようかということに。 なんせ西湖はいつもすぐ側にある。 晩飯を食った後や
学校での仕事は相変わらず忙しいが、忙しいながらも衝撃びっくりネタはここ数日ない。この間を利用して懸案のワット・サンパシウ記事をアップしようじゃないの。スパ...
集中力をどこかに置き忘れてしまったのか、ここ数日、どうにもこうにも注意散漫気味です。こういう時は真面目に読書しようとしても頭に入ってきやしません。 そこで、何も考えずにゲラゲラ笑え、かつ、くだらない挿画が多めの本を選ぼうと、マミヤ狂四郎さんの『アジア裏世界遺産 とんでもスポットと人を巡る28の旅』(幻冬舎文庫)を手に取ってみました。 ちなみに、〈何も考えずにゲラゲラ笑えて、くだらない挿画が多めの本〉なんて書くと、さもバカバカしい内容かと思われるでしょうか。それに関しては一切否定しません。まさにその通りの一冊でごさいます。 裏世界遺産へようこそ GO羽鳥名義でロケットニュース24の編集長を務め、…
今思えば、どうしてあのレストランへ行ったのか、不思議でなりません。いや、アユタヤへ向かう途中に、車で行ったことは行ったのですが、なぜあの店を選んだのかがよく思い出せなくて。そもそも『あのレストランは本当に存在しているのだろうか?』という気持ちが、ほんのり沸き起こってくるんです。そんな不思議な雰囲気のあるチャオプラヤー川沿いのレストランを紹介したいと思います。 アユタヤの善人「ラーン・コンディー・シーアユタヤー」 イケメン執事登場!?奇妙な邸宅へ 実食 レストラン情報 おわりに アユタヤの善人「ラーン・コンディー・シーアユタヤー」 その日、私たちはアユタヤへ向かって車を走らせていました。バンパイ…
「ワットラーチャブーラナ」は1424年、アユタヤ王国8代サームプラヤ―により、王位継承争いで亡くなった2人の兄を弔うために火葬を行った場所に建立されました。 地図 入場料:タイ人20バーツで外国人50バーツ 拝観時間:朝8時から夜6時まで ワット・ラーチャブーラナの歴史 アユタヤ王国7代ナカリンタラーティラート王(1359年ー1424年)が崩御したとき、スパンブリー領主のアイプラヤ―、プレークシーラーチャー領主のイープラヤ―、チャイナート領主のサームプラヤ―の3人の息子がいました。 やがて、兄弟で王位継承の争いが起き、3人の王子は象にまたがり決闘を行いました。 決闘の結果、長男アイプラヤ―と次男イープラヤ―は相打ちで亡くなってしまい、生き残った3男サームプラヤ―がアユタヤ王国8代の王位に就き、二人の兄を弔うために「ワット ラーチャブーラナ」を建てました。 サームプラヤ―王とは 王位継承争い後に即位したアユタヤ王国8代サームプラヤ―王(1386年ー1448年)は現在カンボジアのクメール王国、アンコール トム攻略に成功しました。 そのとき捕虜として捕らえた大勢のクメール人官吏がアユタヤに連
最近、お店で人気急上昇中の地魚のプラー・イトーです。 ハマチに似た脂ののり方で刺身が美味いです。 グーグルで日本名を調べてみたらシイラでした。 …
三毛猫の三喜(ミキ)。 うちへやってきてもうすぐ3ヶ月。 生後約4ヶ月の甘えん坊でやんちゃなおてんば娘です。 生後1ヶ月で初めて会った時は…
スパンブリーからサムットプラカーンまでバンコクの西~南をグルッと迂回するような感じで2時間半。途中1回トイレ休憩の時、いわんやはぜひ撮りたかったモノの写真...
「ワット プララーム」はユネスコによりアユタヤ世界遺産の認定された古代寺院の一つで、アユタヤ時代初期の建物です。 地図 「ワット プララーム」は王宮エリアの東側にあります。 入場券:タイ人20バーツ、外国人50バーツ ワット プララームの歴史 1369年、アユタヤ王国初代ラーマーティボーディー1世が崩御し火葬が執り行われました。 葬儀の後、火葬が執り行われた場所にアユタヤ王国2代と5代のラーメースワン王が「ワット プララーム」を建立しました。 ラーメースワン王とは このラーメースワン王は歴代アユタヤ王国の中で2回も王位に就きました。 1369年、父であるラーマーティボーディー1世の崩御により皇太子であったラーメースワンが王位に就きました。 しかし、ラーメースワン王はカンボジア遠征では失敗し、スパンブリ領主パグワの援軍の力を借りることによりカンボジア軍に勝利を得ました。 カンボジア軍に対し勝利をおさめたラーメースワン王ですが、アユタヤ王室内ではスパンブリ領主パグワの権威が高まったことからラーメースワン王は退位させられました。 そして1370年にパグワが王位につきアユタヤ王国3代ボーロマラ
ジョン・レノン / イマジン (日本語訳付き)youtu.be John Lennon"Imgine" (日本語訳) 今日は定休日。 ホアヒンへお店の…
月初めにバンコクで高校生活を送る娘の望に会いに行きました。 望はスクンビットで暮らす妻の妹の部屋に居候させてもらっているのですがやはりお互いに一人…
今日は、古都アユタヤのまなお的おすすめホテルを紹介したいと思います。 たくさんのホテルやゲストハウスがある中、今回はタイ家屋スタイルの宿ということに焦点をあてて選んでみました。 いずれも、私、まなお自身が実際に宿泊した宿を、私の主観に基づいて紹介していきます。
「ワット プラシーサンペット」はアユタヤにある3人の王を祀った巨大な仏塔があるお寺として有名です。 アユタヤにある多くのお寺が王朝滅亡のときにビルマ軍による徹底的な破壊をうけましたが、「ワット プラシーサンペット」は破壊が少なく、アユタヤ王国当時の仏塔が見ることができます。 地図 拝観時間:朝8時から夜6時まで 「ワット プラシーサンペット」はウィハーン プラモンコンボピットに隣接しています。 ここで入場券を買います。 入場料はタイ人20バーツで外国人50バーツです。 外国人にとって観光地ですが、タイ人にとって神聖な場所ですのでドレスコードがあります。参拝の際にはお気を付けください。 ワット プラシーサンペットの歴史 スコータイ王朝時代、スパンブリーの領主であったウートーン王(1314年ー1369年)は1351年にアユタヤ王朝を開き、当初「ワット プラシーサンペット」があった場所には王宮が築かれていました。 その後、アユタヤ王国11代ラーマーティボーディー2世(1472年ー1529年)は1492年に父のトライローカナート王、そして兄の1499年にボーロマラーチャーティラートを弔うために
先月のことなのですがバンコクから古い知り合いが訪ねてきてくれました。 どちらもある意味永遠の自由人のSさんとAちゃん。(羨ましいです^^) …
厳島神社へ行こう。 さて、鳥居が見えたら、まっすぐ進む。 厳島神社の境内は結構広い。 今は閑散としてるけど、ここが賑やかになる時期がある。 8月と10月である。 8月は「傘鉾神事」だ。 青々と繁った大銀杏の下を傘鉾を被った人たちが静々と境内
晴れ渡る空を、気持ち良さそうに飛んでいた飛行機は、 時間通りにバンコクのスワンナプーム国際空港に着陸した。 隣のご夫婦は、降りる際にも 満面の笑顔で会釈してくれた。 多少の罪悪感を感じながらも僕は、 「ハバァ グッタイム!」と最高の笑顔で挨拶した。 飛行機を降り、イミグレーションに向かい、入国審査の列に並ぶ。 実は僕は、カンボジア − ベトナム 間の移動が、あまりにスムーズで 審査が甘かった為、すっかり油断していた。 パスポートを、審査官に見せる。 その厳しい顔つきをした、細身の年配の男性職員は僕を見て、手元を人差し指でトントンして 「クァイテ」と言った。 (クァイテ…? 何だろう?? 「通…
すっかりご無沙汰してしまいました。ほぼ一か月ぶりの日記更新です。 私はお陰様で元気でやっています。 タイのコロナ規制が緩和されお店が忙しくなってきた…
はい、リピ確定! 成城石井に売ってるアメリカンクッキー(チョコレートチップ)がわしの好みすぎた! ザクザクサク…
上古沢の集落を歩き始めよう。 さて、駅前から歩き始めよう。 今回は、せっかく上古沢駅まで来たんで、どういうコースを楽しむか考えてみた。 下古沢まで一駅分歩くことにして、その途中にある上古沢集落の厳島神社とトレッスル橋を 見ていけばそれなりの
今回は、アユタヤ時代の英雄ナレースワン大王と心優しい女性の物語が残るお寺「ワット・メーナーンプルーム寺院」(ワット・メーナーンプルーンと書かれることもあり)を紹介します。 アユタヤ時代の美しいアーチ門や36頭の象に囲まれた仏塔、白亜の大仏など、見どころも豊富なお寺です。
古都アユタヤには歴史的価値がある寺院がたくさんあり、ここ「ウィハーン プラモンコンボピット」には高さ17mの金箔に覆われた大仏が祀られています。 地図 入場料:無料 ウィハーン プラモンコンボピットの歴史 「ウィハーン プラモンコンボピット」にある大仏はアユタヤ王国9代ボーロマトライローカナート(1448年-1488年)の治世に現在の本堂の西側に建てられたとされています。 その後、アユタヤ王国24代ソンタム王(1590年ー1628年)の治世、1603年に大仏が現在のお堂のある場所移されたとアユタヤの訪れたオランダ人が描いた記録があります。 1706年、大仏の頭部が落雷により損傷し、アユタヤ王国32代スリエーンタラーンティボーディー王(1661年ー1709年)により修復されました。 そのようにせっかく修復された大仏ですが、1767年のアユタヤ王国滅亡時にビルマ軍によって「ウィハーン プラモンコンボピット」は大仏だけでなくお堂やそこに描かれていた絵画などが徹底的に破壊されました。 19世紀に入り、ラーマ5世とラーマ6世により「ウィハーン プラモンコンボピット」は修復されました。 そして、1
上 古沢駅へ。 さて、九度山駅へ電車がやってきた。いつもと反対方向やからちと感じが違う。 電車は同じだ。当たり前やけど。 いつものように、カタン、コトンの間に、キー、キー、キーっと独特の線路と車輪のこすれる 音がしてる。この辺り一体、山の上
九度山から。 ある日、日本の秘境駅を紹介した本を読んでいた。 いつか、こんなとこに行けたらええやろなあって思いつつ。 海外にもこんなとこいっぱいあるんやろなあって思いつつ。 海の上に浮かぶような。山の奥にひっそりと佇むような。天空に浮かぶよ
アユタヤにある数多くの古代遺跡は1991年にユネスコ世界遺産に登録され、「ワット マハタート」も古都アユタヤ遺跡の一つとして登録されています。 その「ワット マハタート」には樹齢100年以上の木の根に取り込まれた仏頭があるお寺として有名で世界中から多くの観光客が訪れています。 ワット マハタートの場所 アユタヤ駅からワット マハタートまで車で10分程です。 アユタヤ駅を降りるとこのような観光用のトゥクトゥクがあります。(値段は要交渉) またアユタヤでは観光用のレンタル自転車があり、お寺には専用の駐輪場があります。 入場料はタイ人20バーツ、外国人50バーツです。 ワット マハタートの歴史 「ワット マハタート」はアユタヤ王国3代目ボロムラチャティラート1世の治世、1374年に建設が始まりました。 しかし、「ワット マハタート」の完成を待たず、ボロムラチャティラート1世は1388年に亡くなってしまいました。 ボロムラチャティラート1世の崩御後に、退位させられていたアユタヤ王国2代目ラーメースワン王がクーデター起こし、1388年に再び権力を取り戻しアユタヤ王国5代目の国王に即位しました。
いやー・・もう忙しい。M4~M6のための教材ppt作り、さらに随時入るテストの採点、そのうえテストの問題まで作成してるんだからユキ先生さすがに少しくたびれ...
アユタヤ旧市街(アユタヤ島)の城壁外、北側にある「ワット・ナープラメン」寺院には、ドヴァラヴァティ様式の珍しい仏像と宝冠をいただいた眩い本尊、そして境内の菩提樹にひっそりと埋もれた仏頭があります。 奇跡的にビルマ軍の破壊を免れた13世紀創建の古刹です。
梅雨の真っ只中。ジトジトした季節には怪談話がよく合います。かの『四谷怪談』だって、かつて四谷が鬱蒼とした湿地だったからこそ、生まれたはずですしね。 そんなこんなで、今回は林巧さんの『アジアもののけ島めぐり―妖怪と暮らす人々を訪ねて』(光文社文庫)を選んでみました。 なお、ゾクゾク感で暑さを忘れられるから夏に怪談話を多くするようになった……というのは後付け的な俗説らしいです。 先祖の霊だけでなく、怨霊や無縁仏も一挙に帰ってくるお盆に合わせ、鎮魂の意を込めて浮かばれない霊たちの無念を語っていたのが、そもそもの由来。私もさっき知りました。 つまり、本来はお盆の時期に紹介するのが相応しい本だったのかも…
カオマンガイは鶏のスープで炊いたご飯の上に蒸した鶏肉をのせて食べる東南アジアでは定番の料理です。 タイでもデパートのフードコートや道端の屋台には吊るされた鶏のカオマンガイのお店がたくさんあり、お腹が空いたらとりあえずカオマンガイという感じで食べられています。 そんな簡単に食べられるカオマンガイ、 どこの店も味は同じと思いますが、ここ「カオマンガイ888」は看板メニューのカオマンガイが美味しいことで有名で連日、多くのお客で賑わっています。 地図 営業時間:朝6時から夜11時まで お店には駐車場があります。 お店の近くに国鉄とスワンナプーム空港までのモノレールのフアマーク駅がありますが、鉄道ですと遠回りになってしまうので車で来店される人が多いです。 店内 店内は奥行きがあり、エアコン付きと部屋とエアコンなしの部屋に分かれています。 メニュー こちらはご飯もののメニューになります。鶏肉の他にアヒル肉のメニューもあります。 こちらは麺料理とスープのメニューになります。 こちらはドリンクおよびアラカルトのメニューになります。 ということで、まずは定番のカオマンガイを注文! 値段:50バーツ まず
ワット・サンパシウネタを続けようと思ったけど、やっぱり緊急ネタ発生(笑)。前回記事で書いた340号線がらみの話だけに、続けて書く必要があるのだ。他の地方都...
「ワット プラッププラーチャイ」は「ワット テープシリンタラーワート」の向かい側にある小さなお寺です。 地図 「ワット プラッププラーチャイ」は地下鉄ワット モンコン駅から徒歩10分程です。 拝観時間:朝8時から夜8時半まで ワット プラッププラーチャイの歴史 「ワット プラッププラーチャイ」がいつ頃に建てられた詳しい資料がありませんが、アユタヤ王国30代ナーラーイ王(1633年2月16日ー1688年7月11日)の治世に建てられたとされています。 当時、このお寺は「ワット コック」とよばれていました。 ワット プラッププラーチャイとラーマ6世 1911年11月11日に即位したラーマ6世(1811年1月1日ー1925年11月25日)は先代のラーマ5世のタイ近代化改革を引き継ぎ、義務教育の導入、タイ赤十字の創設など行いました。 そして、世界に3番目となるボーイスカウトの導入を行い、「ワット コック」にボーイスカウト本部が置かれお寺の名前も「ワット プラッププラーチャイ」とされました。 しかし、このボーイスカウトは「スアパー」とよばれるラーマ6世の自警団組織の側面がああり、そのためタイ軍部の
ヘンな標題だな(笑)。スパンブリー赴任が決まって以来、ワット・サンパシウはぜひ行きたい場所だった。中途半端に近いから歩いて行けない距離でもない。実際1回目...
イオンとかイトーヨーカドーのフードコートとかじゃなくて、道の駅みたいなラインナップでちょっとお店のラインナップ…
こんにちは、まなおです。相変わらず「まなおアユタヤ祭り」を開催中ですが、寺院紹介ばかりが続いたので、今回は中休み的にグルメ情報を。灼熱のアユタヤでの寺院や遺跡巡りは、何かと体力を消耗してしまいます。ランチはエアコンの効いた清潔な食堂で元気をチャージすることも大切ですよね。 今回紹介するのは、ワット・ヤイチャイモンコン寺院の裏手にあるこじんまりとした食堂です。ワット・ヤイチャイモンコン(วัดใหญ่ชัยมงคล)は、アユタヤの寺院巡りをする際には、多くの方が訪れるであろう、外せないお寺のひとつです。アユタヤーの英雄、いやタイの英雄と言ってもいいほどタイ国民から愛されているナレースワン大王が戦…
海外留学生達の展示会。 さて、友人達を上海まで無事送り届けた。わしも久しぶりに大都会を楽しんだ。 一夜明けて、えらい学校のあたりが騒がしい。知ってたけど。 今日は、美術学院へ海外から留学してる人達の作品展示会があるのだ。 この学校はこういう
ワット テープシリンタラーワートは王室管理第2級の広大な美しい庭園を持つ寺院です。 地図 「ワット テープシリンタラーワート」は地下鉄ワット マンコン駅から徒歩10分です。 ワット テープシリンタラーワートの歴史 ラーマ5世の母、マハチャクリシリントーンが1961年9月9日、28歳の若さで亡くなりました。 1868年に即位したタイ国王ラーマ5世は1876年、若くして亡くなった母に捧げるための寺院の建設を命じました。 そして、2年の建設期間を経て1878年7月3日に落成式の儀式が執り行われ、寺院を母の名前に由来した「ワット テープシリンタラーワート」と名付けました。 そして、1896年にラーマ5世は「ワット テープシリンタラーワート」をタイ王室の墓所と定め、王室専用用の火葬所が設けられました。 タイのお寺の外観は精巧な彫刻が施されていますが、少年期にラーマ5世は英国人家庭教師から教育を受けたため、ヨーロッパ文化の影響でしょうか? 外観はとてもシンプルな造りになっています。 しかし、本堂の天井にはタイ様式の素晴らしい精巧な模様が施されています。 通常、タイのお寺ですと境内に大きな仏塔が建て
・・・それはオレのことだ。床屋記事の最後に「自転車もない交通弱者」ってチラッと書いたけど、これは詳しく書くべきテーマだと思うので書こう。タイ地方都市の交通...
上海料理の美味しいやつ。 さて、昼飯の時間が近づいている。 さて、どこに行こう。 中国は食の王国である。しかも上海は超大都会。昔からの美食の地、蘇州のすぐそばだ。 お金さえだせばいくらでも有名で美味しいとこがある。いくつかはわしも知ってる。
前回が『アジア「裏」旅行』で、今回は『裏アジア紀行』(2005年/幻冬舎アウトロー文庫)。似た表題の作品を連投し、若干ややこしい感じになってしまってゴメンナサイ。引き続きアジアの危険な側面に迫るべく、この本をチョイスしました。 アジア潜伏生活 著者のクーロン黒沢さん(1971年生まれ)は、90年代初頭にライターとしてカフェイン漬けの忙しない毎日を過ごし、鬼畜系文筆家の先駆者である青山正明さんに憧れて、裏社会の人間とも積極的に交流を開始。 やがていくつかの厄介事に巻き込まれ、知人からの〈しばらく日本を出ろや〉なる忠告に従ってアジアを周遊(正確には潜伏)。その当時のエピソードが『裏アジア紀行』の母…
最近アユタヤの寺院ばかり紹介していますが、今回もアユタヤの寺院です。(笑) おそらく一般観光客にとってはマイナーなお寺だとは思いますが、礼拝堂に安置された三体の仏像が非常に印象的で美しかったのです。
上海の街、日本人の居た街あたり? さて、上海まで来たけれど、友人たちが泊まる宿を探さんとあかん。 予約は日本で済ませてきたという。場所はわからんという。 まかせてもらおう。というても「天潼露」という聞いたことがないとこだ。 地図とネットで調
1987年、ラーマ9世の生誕60周年を記念して、敷地面積約799平方mのバンコク最大のラーマ9世公園がつくられ園内には美しい植物が植えられています。 地図 開園時間:朝5時から夕方5時まで 入場料:10バーツ 駐車場代:10バーツ 公園の入口を入りますと、様々な運動器具があります。 また、子供向けの遊具もたくさんあります。 広い池にはスワンボートが整列しています。 スワンボートのレンタルは1時間50バーツ 広い公園ですので、多くの人がジョギングで汗を流していました。 この季節に咲いている花が少なかったのですが、花の季節になると駐車場待ちの車がでるほど多くの人が訪れます。 横にある小さな池の真ん中にタイ様式の祠が建てられています。 ラーマ9世公園は植物園も兼ねており、様々な施設があります。 こちらは蘭の施設です。 たくさんの蘭が育てられていますが、残念ながら季節ではなかったので咲いていませんでした。 公園内を歩いていると何やら不思議なものが、、、 ん、、、 ラーマ9世公園にはサボテン園もあります! 建物の中では様々なサボテンが植えられています。 気分はメキシカン! 可愛らしいサボテンがあ
上海電撃旅、新幹線事情など。 この日は、日本から杭州に遊びに来てくれてた友人たちを上海まで送って行った。 杭州から上海までの交通手段はほぼ2種類。長距離バスか新幹線だ。バスで帰るのは 空港まで直接行けるんで便利ではあるけど、せっかく日本に来
タニヤ通りがあるシーロム地区には多くの日本企業のオフィスがあるため、たくさんの日本料理のお店があります。 そのような日本料理のお店がひしめくタニヤ通りにラーメン屋「トマト ヌードル」があります。 でもトマト味のラーメンてどんな味? と、いうことでさっそくラーメンをすすってきました。 地図 お店はBTSサラデーン駅から徒歩2分です。 営業時間:午前11から午後10時まで 店内はカウンター席のみになります。 メニュー メニューにはラーメンの他、丼物、各種トッピングが可能です。 また、カレーや餃子などのサイドメニューやセットメニューなどもあります。 と、いうわけでトマト ブタ ラーメンのSサイズ(190バーツ)を注文しました。 お兄さんが手早く調理にかかります。 また、お水はカウンターの上にある水差しから無料で飲めます。 トマト ブタ ラーメンです。 具には豚肉の薄切り、きくらげ、コーンです。 ところどころスープの中にある赤いものがトマトです。 味はラーメンスープにトマトの酸味が加わることにより、クリーミーでさっぱりとしていて、スパゲッティのソースをスープにしたような感じで、それが麺にからん
今回は、古都アユタヤでにわかにタイムスリップしたような気分を味わえる寺院を紹介します。 数年前に大ヒットした歴史ラブコメディー映画「ブッペーサンニワート/บุพเพสันนิวาส」(邦題『運命のふたり』)の撮影で使われた回廊もあり、どこか不思議で素敵な魅力が漂った寺院です。
タイの古都アユタヤの涅槃仏と言えば、野ざらしの遺跡広場に横たわる涅槃像を思い浮かべる方が多いかも知れませんが、アユタヤには意外とたくさんの涅槃仏が他にも存在します。 今回は、そんな中から、古刹ワット・サームウィハーンのお堂に安置された巨大涅槃仏を紹介したいと思います。
「ワットウタイターラーム」は高層オフィスビルや高層コンドミニアムが立ち並ぶアソークの近くにある、金色で装飾された仏塔や本堂、ライオンの守り神がある歴史のあるお寺です。 地図 ワット ウタイターラームまでの行き方 地下鉄ペッチャブリー駅で下車します。 その後1番出口を出てからバイクタクシーに乗ります。 バイクタクシー30バーツ、所要時間10分 ライオンに守られた金色の仏塔の前でバイクタクシーを降ろしてもらいました。 ワットウタイターラムの歴史 「ワットウタイターラーム」がいつ頃建てられたのかは不明ですがアユタヤ時代には建てられていた記録があります。 1767年、ビルマ軍の猛攻により都アユタヤが陥落し14世紀から続いたアユタヤ王国は滅亡しました。 そのビルマ軍のアユタヤ包囲から王族のプラヤーウタイが脱出に成功し、このお寺にアユタヤ王朝の仏像や宝飾品を埋めました。 その後、タクシン王がビルマ軍の駆逐に成功しましたが、一代で終わったトンブリ王朝、その王朝を引き継いだチャクリー王朝と時代は目まぐるしく変わり、誰もが埋めた財宝のことを忘れてしまいました。 1941年、太平洋戦争が勃発し日本軍はイギ
猊鼻渓追分を聞きながら。 さて、船が出発した。行きも帰りも完全にエンジン無し、人力航行やから静かに すべるように進む。くる時は舟下りやったから帰りは舟のぼりだ。 落差は少ないみたいやけど、登りは登り、船漕ぐ人は大変だ。 それでも帰りも独りで
成城石井で見かけたことあるけど、遠いから持ち帰れなくて、食べたいけどずっと我慢していた信玄餅アイスが近所のライ…
猊鼻渓、渓谷の一番奥まで。 さて、船は一番奥に着いたらしい。 ここで行ったん船を降りる。 ひとりずつ慎重に船からでる。なんと言うても真冬の川だ。侮ってはいかん。 こけて水にはまったらえらいことになる。 前を向くと左手前方に巨大な景色が迫って
「ワット サンクラチャーイ」は18世紀にラーマ1世によるお寺の本堂の建築をするため、この場所を掘ったら仏像が見つかりました。 その後、19世紀にラーマ3世によりお寺は改修され「ワット サンクラチャーイ」と改名されました。 ワット サンクラチャーイまでの行き方 MRT地下鉄イサラバップ駅から徒歩10分です。 一見するとタイのどこのでもあるお寺ですが、「ワット サンクラチャーイ」は王室管理3級のお寺です。 境内には中国の神様も祀られています。 「ワット サンクラチャーイ」は小さいお寺です。 せっかくきたのでご本尊にお花を供えてから帰ろうと思い、お花代40バーツを横の賽銭箱に入れました。 そして本堂に入りましたが、お花をあげるところがわからず、近くにいたおっちゃんに聞きました。 私:「このお花はどこに置けばいい?」 おっちゃん:「ん?あんた、どこからきたの?」 私「日本から」 おっちゃん:「お~(笑顔)そうかい、そうかい!!!」 と、このおっちゃんとても親切に私の代わりに花を置いてくれたり、 ロウソクに火をつけてくれたり、 お線香に火をつけてくれ、 おっちゃん:「じゃあ、俺がお経をあげてあげ
猊鼻渓舟下りの始まり始まり。 さて、全員そろって、入り口が閉められた。 乗員は二人。船外の船頭さんと、船内の補助の人、その人がガイド役。後一人、乗員かどうかわからんけど カメラ専門の人が船外にいる。 この船は登りも下りも棹一本だ。エンジンは
お店の前を車で通るたびにきになっていた、健民ダイニング 本店/ケンミンダイニング (みなと…
猊鼻渓駅船着場。 さて、猊鼻渓の駅についた。 空はあかるいけど、雪はびっしりだ。風がビュービュー吹いている。 昨晩、電話で確認したら、猊鼻渓遊覧船は多分大丈夫やけど、万一風が強かったら 欠航するとのことだった。けっこう微妙かもしれん。 駅は
タイにはたくさんのお寺があり、金色に輝く仏像が祀られていることが多いですが、「ワット ラーチャシッターラーム ラーチャウォラウィハーン」には緑色の仏像が祀らており、また本堂には大仏の足跡が祀らているお寺です。 「ワット ラーチャシッターラーム ラーチャウォラウィハーン」までの行き方 地下鉄MRTイサラバップ駅で下車し2番出口を出ます。 ソイ23に入ってから3分程歩きます。 地図 「ワット ラーチャシッターラーム ラーチャウォラウィハーン」の歴史 アユタヤ時代、このお寺のあった場所には「ワット パ」とよばれるお寺が建っていました。 18世紀にラーマ1世が「ワット パ」の横に新しいお寺の建設を命じ、二つのお寺が統合されためお寺の名称が「ワット ラーチャシッターラーム ラーチャウォラウィハーン」となりました。 その後1824年にタイ国王に即位したラーマ3世の治世にこのお寺は大きく改修されました。 このお寺にはめずらしいピンク色の仏塔があります。 本堂の入口には武人像が置かれています。 こちらの武人像の足元にはドクロがあります。 本堂に入りますと、 ありました! 大仏の足跡です!! こちらが緑
仏教の開祖と言えばお釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)であり、仏陀と言えば「釈迦」を思い浮かべることが多いと思いますが、実は、お釈迦様がこの世に出現されるその遥か前から何人もの(別の)仏陀が存在したという考え方があります。 今回は、そんな「過去仏」を祀るアユタヤのお寺を紹介します。
3連休(タイはね)でもあるし、今日はちょっと趣向を変えてタイの制汗デオドラント製品について紹介したい。世界どこの国に行っても「汗っかき選手権」じゃ負けない...
先日、タイ北部パヤオの妻の実家から、家のマンゴーがなったのでバンコクに送ると妻の母から連絡がありました。 (写真は妻の実家にあるマンゴーの木です) そして、写真が実家から送られてきたマンゴーです!Σ(・□・;) 重さにして約6㎏、 ちなみに、家の近所の市場で販売価格はマンゴー1キロ、40バーツ、 日本での末端価格はいくらになるのだろう? ちなみ、、、 日本では宮崎産完熟マンゴーが5千円近くで販売されていますが、実家が農家で庭にマンゴーの木がありバンコクに来るまでマンゴーを買ったことがない妻はこの話を信じません! タイ産マンゴーはとても甘いことで有名です。 が、、、 いくら美味しいマンゴーでも毎日食べれば飽きます、、、 と、 妻を見ると何かYoutubuで検索中 そして、 翌日、ヨーグルトを買ってきた妻が台所でおもむろに何かをつくりはじめました。 そして、これが自家製マンゴーアイスです! マンゴーアイスの材料 マンゴー:適量 牛乳:適量 ヨーグルト:適量 はちみつ:適量 これらをジューサーでかき回したあと、冷凍庫で凍らせるだけです!!! (スミマセン、かなりアバウトな性格の妻でして、、、
出雲縁結び空港から伊丹に帰っておしまい。 さて、夜の松江はリムジンバスは走り抜けて行く。 駅から出雲縁結び空港まで、それでも1時間弱かかる、けっこう長旅だ。 飛行機って、乗ってる時間は1時間ほどなんで、とても楽なんやけど、こういう 時間を足
今回は、イケメン風のガルーダ様がいらっしゃるお寺をご紹介します。 なかなか映える風貌のガルーダ像は、SNSでもじわじわ人気のようです。
バンコクのオンヌットにある「ワット・マハーブット」には「メ― ナーク」とよばれる母子の霊が祀られており、多くの参拝客が訪れるアユタヤ時代1672年から続くお寺です。 ワット・マハーブットまでの行き方 BTSオンヌット駅から車で約10分です。 「ワット・マハーブット」の境内は広く、いろいろな仏像が祀られています。 お寺の境内を奥に進むと母子霊「メ― ナーク」が祀られています。 この「メ― ナーク」、タイでは何度もドラマだけでなく映画としても公開され、日本の通販でも「ナン ナーク」として日本語字幕で販売されています。 メ― ナーク伝説 アユタヤ王朝後期、この地の村長の娘でナークという女性がいました。 その村長の家の庭師にマークという働き者の男性がおり、二人は互いに惹かれて親密な関係になりました。 しかし、村長は身分の違う二人が親密になるのを認めず、ナークには相談もなしに金持ちの中国人との縁談をすすめました。 それを知ったナークはマークとともに駆け落ちをしました。 そうして二人は暮らし始め、やがてナークのお腹には子供が宿りました。 そんな幸せの中、マークが徴兵され戦場に行かなくてはならず、ナ
安来から松江駅、空港へ。 さて、スルメをしがみながら酒を飲むというオッサン酒、こんな飲み方は 久しぶりだった。新入社員時代の研修所を思い出すなあ。 現役時代の慌ただしい出張の間に、新幹線で同僚と飲んだ酒。 寮の部屋で飲んだ酒。 いろいろ思い
安来駅でちょいと一杯。 さて、送迎のバスに乗る。 無料やからありがたい。 無料のバスを頻繁に出せるほどの力がある美術館なのだ。 それでも、送迎バスで来るより、観光バスで来る団体さんが圧倒的に多いみたい。 余裕で座れる。 行きはずっと雪を冠っ
今回取り上げる書籍は、『何もなくて豊かな島―南海の小島カオハガンに暮らす』(1995年/新潮社)。いいな~、いいな~、いいな~……と、この本を読み終えるまでに500回くらい心の中で呟いたと思います。 退職金で島を購入? 本題に入る前に、まずは著者である崎山克彦さんの略歴からご紹介しておきましょう。以下、作中で崎山さん本人が書かれているものを要約しました。Wikipediaに載っている年代とは若干異なりますが、たぶんこちらが正解かと思われます。 慶應義塾大学を卒業した1959年に、講談社へ一旦入社した崎山さんは、アメリカ留学を経て、設立間もない講談社インターナショナルに再就職。 やがて同社の役員…
バンコクのあちこちには小さい市場があり、そこではいろいろな食料品や日用品が売られていますが、広い売り場面積があり、大きい駐車場があるサームヤーン市場はバンコクの胃袋をまかなう市場で連日多くの買い物客で賑わっています。 サームヤーン市場までの行き方 MRT地下鉄サームヤーン駅を下車し2番出口を出ます。 駅から市場まで徒歩12分ほどですが、タイは暑いのでバイクタクシーを使いました。 運転手に「タラート」(ตลาด)と言えばわかります。 料金は30バーツで5分もかからずに市場へ到着しました。 営業時間:月ー土、朝5時から夜11時まで 日曜日、朝5時から夕方5時まで カオパット、カイチアオ、カイダーオ、タイ料理やタイのお菓子には大量の卵を使いますので卵専門店があります。 麺専門店ではバーミー、クイッティアオ、パッタイなど各種の麺を取り揃えております。 豆腐屋さんです。 バンコクには中華系タイ人がたくさん住んでいますので、臭豆腐にでもするのでしょうか? 漬物屋さんです。 中華ソーセージ屋さんです。 肉屋さんです。 今夜のおかずに鶏のから揚げはいかがでしょうか? バンコクではアヒル焼きもよく売られ
「めまい」は、立ちくらみのように一瞬くらっとするようなめまいから、天井がグルグル回って立ち上がることさえできないようなめまいまで様々です。 「めまいリハビリ体操」は、小脳の平衡機能(バランス機能)を鍛えることで、ふらつきやめまいが起こらないようにするというものになります。
足立美術館、庭園と美術鑑賞。 さて、遅めの昼飯を食ったら、肝心の美術鑑賞が残ってる。 とはいえ、まだまだ、目の前に庭園が続く。 いったいどんだけ広いんや! 庭園の中には入って行かれへんけど、中から回遊式に見れるようになってる。 あっちからも
アユタヤ県の幹線道路沿いに現れる、立派な建物。 ここは「Arts of the Kingdom Museum」(พิพิธภัณฑ์ศิลป์แผ่นดิน)と呼ばれる、トップクラスのタイ芸術作品を集めた博物館と、タイの伝統仮面劇「コーン」に関する展示館(อาคารเรียน-รู้-เรื่อง-โขน)のある施設でした。 外国人観光客にはまだあまり知られていませんが、タイの美術や伝統芸能について学べる非常に興味深い施設でしたので、その様子をレポートしたいと思います。
BTSオンヌット駅の近くにあるイタリアンレストラン「カバナガーデン - Cabana Garden」はオンヌット市場の奥にあり、コンドミニアムの裏手にあるため隠れ家のような静かな雰囲気のレストランです。 カバナガーデンの場所 オンヌット駅から「カバナガーデン」までは徒歩7分ぐらいです。 営業時間:昼12時から夜11時まで 定休日:月曜日 お店はオンヌット市場の駐車場の近くですが、お店の看板が小さいので見つけにくいかもしれません。 店内の様子 室内は解放感のある落ち着いた雰囲気があります。 室外にも席があり、涼しそうな池には大きな鯉が泳いでいます。 バーカウンターもあり各種カクテルが注文できます。 メニュー メニューはタイ語、英語、日本語と書かれており、料理についても店員さんがフレンドリーな対応をしてくれます。 前菜とサラダのメニューです。 サラダのメニューです。 ピザのメニューです。 パスタ&リゾットのメニューです。 ドリンクメニューです。 ノンアルコールドリンクのメニューです。 まずは、ツナサラダを注文、210バーツ アンチョビの塩加減がレタスやツナにマッチして美味しいです。 パルマ
今回は、古都アユタヤーの川沿いレストランを紹介します。 アユタヤ島の東部を流れるパーサック川の雄大な景色を真横に眺めながら食事ができます。 注文したものはどれも美味しかったので、アユタヤ観光の際にはぜひ候補にどうぞ。
チェンライに住む妻(タイ人)の友人から「ワット フゥアイプラーカン」が全て完成したとの話があり、妻の実家があるパヤオに帰省した際にチェンライにある「ワット フゥアイプラーカン」に行ってきました。 地図 「ワット フゥアイプラーカン」はチェンライ市内から車で30分ほどかかります。 「ワット フゥアイプラーカン」はチェンライの新しいランドマーク的なお寺として休日には多くの参拝客で賑わいます。 数年前に来たときはこの塔しかありませんでした。 この塔は9階建てで各階には木彫りの仏像が祀られています。 一階には大きな観音像が祀られています。 きれいなお顔をした観音様です。 観音様の周りにはたくさんの仏像が祀られています。 上から見ると観音様の大きさがよくわかります。 精巧な彫刻の千手観音です。 タイでは有名な高僧も祀られています。 優しそうな表情をした仏像です。 この螺旋階段で最上階に上ります。 最上階からの眺めです。 中央には「ナーク」に守られてた仏陀が祀られています。 仏陀の周りには観音様と中国の神様が祀られています。 妻の友人が連絡をしてくれたのはこちらの観音像です。 塔から観音像まで丘を
前回ご紹介した『マリカのソファー』の続き。今回は著者である吉本ばななさんが、『マリカのソファー』の取材のためにバリを訪れた際のエッセイ『バリ夢日記』(1994年)です。 小説との読み比べ どうやら私は紀行小説の裏話を読むのが好きらしいです。例えば、吉本ばななさんだったら『なんくるない』の取材日記的な『なんくるなく、ない』がそうですし(※詳しくはこちらから)、沢木耕太郎さんだったら『深夜特急』の誕生秘話が窺える『旅する力―深夜特急ノート―』もそう。 少しニュアンスは異なるものの、船戸与一さんの2006年作『河畔に標なく』のミャンマー取材に同行した高野秀行さんが、まったく別の角度から道中の出来事を…
こんにちは!きくのすけ(Kikunosuke)です! 今回は海外旅行記のなかから、学生時代に訪れたホーチミンの体験談をお送りします! 私は最初の記事で、旅行の大きな魅力について 「一般的なイメージと違う世界を生で体感でき、体験を通じて感じる新しい発見や感性を体得することだ」 と書きましたが、 実体験をもとにした方が 「実際に滞在してどういったことを感じたのか」 伝わるかと思い、シリーズで過去に訪れた先の旅行記を記事にしています。 今回紹介するホーチミンは東南アジアの中でも便が多く行きやすい都市なので、 ホーチミンの概要と今回行くことになった背景 ホーチミン旅行で体験したこと ホーチミン市内観光…
一ノ関から猊鼻渓へ。 一ノ関から大船渡線に乗る。 一気に太平洋側までつながっている路線だ。 空が明るい。 雪がないわけではない。今までと変わらんくらいたくさんあるし、時々吹雪いてる けど、空が晴れていて、青いとこがたくさん見えてる。 いまま
かつて現在のラオス一帯を支配したラーンサーン王国。 (タイ語では『ラーンチャーン』=『百万の象』の意味) そのラーンサーン美術様式の仏像が、アユタヤー旧市街の片隅にひっそりと安置されています。 はじめてその仏像を拝見し美しさに魅了されたのが数年前。 今回のアユタヤー週末旅行で再訪してきました。
「ワット プラケオ」といいますと、バンコクにあるエメラルド仏が納められているタイ仏教の一番神聖なお寺、エメラルド寺院が有名で季節になると国王の手によって衣替えが行われます。 しかし、14世紀のランナー王朝時代にエメラルド仏はチェンマイにある「ワットプラケオ」に祀らていました。 地図 ワット プラケオ、チェンライの歴史 もともと、チェンライの「ワットプラケオ」は「ワットパイ」とよばれていました。 6代ランナー王朝クーナ―王(1355年ー1385年)の弟、マハープロムがカムペーンペットからからエメラルド仏を持ち帰り「ワット パイ」にて祀りました。 しかし、マハープロムとランナー王朝を引き継いだ7代セーンムアンマー王(1385年―1401年)のと争いが始まり、戦火からエメラルド仏を守るため漆喰に固め仏塔の中に隠されました。 その後1434年に落雷が原因で仏塔の中で漆喰に覆われた「エメラルド仏」が発見されました。 そして、「エメラルド仏」が見つかったことから「ワット パイ」は「ワット プラケオ」と改名されました。 エメラルド像を見つけた8代サームファケーン王(1389年ー1441年)は象を使っ
古川から一関へ。 ロボット君に別れをつげて新幹線に向かう。 新幹線のホームはえらく立派だ。 ホームにJRの係員がいてはった。まだ、チケットのことがもやっとしてる。 その方に事情を話して聞いてみたら、「自由席特急券のままで乗ってくれていいんで
鳴子温泉から古川へ。 わしらはこれから東に向かう。在来線で古川まで行って、新幹線に乗り換え、 一ノ関に向かう。そこから又在来線に乗り換え、猊鼻渓に行くのだ。 さて、それではと、電車に乗る。雪が降りしきる。 駅ではあんなに人がいてたのに。なぜ
「ワット ドーイガムムアン」はチェンライにある14世紀に建国した初代ランナー王朝マンラーイを祀った小高い丘の上にある静かなお寺です。 地図 「ワット ドーイガムムアン」は旧時計台から徒歩10分です。 ワット ドーイガムムアンの歴史 1311年、チェンマイにてランナー王朝初代マンラーイ王が死去し、チェンライで政務を行っていた2代目ランナー王チャイソンクラームはマンラーイ王を弔うために1317年に ワット ドーイガムムアンを建立しました。 そのころ境内にはマンラーイ王を祀る仏塔しかありませんでした。 1487年にマンラーイ王の遺骨が祀るためにお寺は修復され「ワット ドーイガムムアン」とされました。 しかし、16世紀からランナー王朝はミャンマー王朝に統治されました。 18世紀ランナー王朝がこの地域からミャンマー軍を駆逐しましたが、「ワット ドーイガムムアン」は廃墟と化していましたが、1892年、「ワット ドーイガムムアン」は改修されました。 入口の門には精巧な彫刻が彫られています。 境内にはこのような柱が建てられています。 ミャンマー軍を駆逐する様子でしょうか、境内には武器を持った兵士や象に
鳴子温泉を出発。 さて、朝が来た。そろそろ低気圧も収まって、雪が晴れるんではなかろうか。 その期待も虚しく、朝から森々と雪が降っている。 昨夜の晩飯は、わしらみな食い過ぎて体が重い。 温泉旅館ご自慢の山海の珍味を楽しむのもいいけど、時として
前回に続いて吉本ばななさんの旅エッセイを取り上げようと、『マリカのソファー/バリ夢日記 世界の旅①』(幻冬舎)を選んでみました。 本書はバリを舞台にした小説と、その小説の取材日記を1冊にまとめたもの。当初は後者の『バリ夢日記』をメインに感想文を書くつもりでしたが、久々に読み返した小説パートにも改めて心を射抜かれ、2回に分けてアップすることにします。 心の傷を癒す旅 まずは『マリカのソファー』について。同作は1994年に『マリカの永い夜』というタイトルで発表され、1997年の文庫化に併せて改題。この時、登場人物の設定も一部変更されています。 幼い頃から両親に虐待され、自分の中に複数の人格を形成す…
「ワットクランウィアン」または「ワット チャンタロック」はチェンライ市内の中心にある長い歴史を持つお寺です。 地図 {ワットクランウィアン」は旧チェンライ時計台から徒歩3分も場所にあります。 ワットクランウィアンの歴史 当時、タイ北部のランナー王朝はビルマのサルーン王(1584年6月17日ー1648年8月29日)により統治されており、ミャンマー統治下の1637年に「ワットクランウィアン」が建てられました。 この寺が別名「ワット チャンタロック」とよばれる由来はお寺が建てられた頃に境内には大きなタイ ローズウッドの木があったことからです。 その後、18世紀にバンコクに新しくできたトンブリ王朝の加勢でタイ北部でランナー王朝によるビルマ追放戦争が行われました。 そして1774年、ランナー王朝は都のチェンマイを取り戻しチェンライも統治が始まりましたが、「ワットクランウィアン」は廃墟となっていました。 1825年、チェンライでは街の改修が始まり、「ワットクランウィアン」も改修が始まり1995年に改修工事が終わりました。 本堂の入口には優しそうなお顔の仏像が祀られています。 こちらがご本尊です。
スパンブリーでの日本語補助教員としての日々を記事にするにあたって、頻出が予想される略称についてまず整理しておきたい。今後はもうイチイチ説明せずに略称だけで...
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片手生活の大変さを知ってもらいたくて始めます
富山の観光地・グルメをブログやYouTubeで紹介! 富山へ旅行にお越しください!
ラスベガス好きが集まって、情報をシェアでる場になると嬉しいです!
小学生でも読みやすいようにフリガナを多めにしたり、情報を噛み砕いてわかりやすくのせています。 全世界196ヶ国完成までお楽しみに🤘
ヨーロッパの世界遺産のご紹介を、よろしくお願いします! ヨーロッパは世界の世界遺産ランキングにおいて、 1位イタリア、3位ドイツ、4位スペインとフランス、8位イギリスと10位以内の国が5つもあり、世界的にも世界遺産が多い地域となります。 たくさんの方の投稿をお待ちしています!
最近新しいホンジュラスの大統領が決まりました。今までの大統領が好きな事ばかりして国の政策を何もしなかった事より国民の不満が募り、今回は女性の大統領となりました。何か新しい政策が行われるでしようか?
旅行や仕事などで海外、国内の旅ブログです。ちょっとした豆知識やおすすめをご案内です!(´ー`)
本場ドイツのクリスマスマーケットを紹介して下さい。 現在コロナ禍で欧州旅行が難しい日本の皆さんに、ドイツのクリスマスマーケットをご紹介して少しでも楽しんでいただけたら、と思います。
30年程前の旅行の話 かこの病気の話。