fgaerc
1件〜50件
ブラックフライデーH⚪︎Sは安いかしら〜⁉︎
なんかクサイんです、新しい靴下が・・・(涙)
ノースショアへ行くには〜⁉︎
ワイキキのど真ん中で火災が発生〜!
もう気分はクリスマス〜♪
ハワイに住んでいるような滞在をしてみる〜⁉︎
えぇぇえ〜飛行機がコオラウ山脈にぶつかっていたかも〜⁉︎
これはステキです〜♪
ブラックフライデーのアラモアナセンターは激混み〜
ハワイで買いたいハワイ〜な柄のラッピンググッズ〜♪
ちょっと悩む〜ハワイなギフト〜!
KCCファーマーズマーケットのエコバッグが〜⁉︎
ハワイのチャイナタウンは防犯カメラだらけ〜⁉︎
ハレクラニ・ベーカリーのマグがかわいい〜♪
12月発売予定のアロハエクスプレス〜!
ブルガリア北西部の絨毯織の町、チプロフツィの博物館を堪能し、宿に戻りました。宿の主、イリヤのお母さんが織ったキリムを記念に買いたいと思っていたのですが、何しろ1メートル四方1000レフ(73000円ほど)と高いので、テーブルセンター程度の小さいのを買うつもりでした。でも、博物館で
ブルガリア北西部の町、チプロフツィでの2日目、ゲストハウスTorlacite Kashta での朝食には、主人のイリヤが育てているサフランのお茶が付きました。貴重なのはわかったけれど、それほど美味しいものでもなかったような・・・。朝食の後、イリヤのお母さんに少しだけ
ブルガリア北西部の町、チプロフツィのゲストハウス、Torlacite Kashta でようやく部屋の準備ができました。食堂兼、織り手の職場である部屋の裏口から外に出て、階段を上がったところに部屋があります。木造りの部屋で、窓と床にキリムが。シンプルながら、
ブルガリア南西部の村、メルニックの宿で頼んだタクシーが来ました。ここからまずは、ロジェン修道院へ行きます。そうなのです、ブルガリアで観光名所と言ったら、修道院なのです。ロジェン修道院は、数日前に行ったバチコヴォ僧院より小粒ですが、中庭にある教会をぐるっと修道士の居住空間が
ブルガリア南西部の村、メルニックで一夜を明かし、二日目です。泊まっていたホテル、Hotel Slavova Krepost の地下にある朝食部屋に行ってびっくり。前日の様子から、泊り客は私達のみかと思っていたら、続々とカップルが子供連れが入ってきました。私達は暖炉のあるレストランで
ブルガリア南西部の村、メルニックは、昔も今もワインの産地として知られたところです。村に並ぶ伝統的な家屋の多くにワインセラーがあるようで、私達が泊まった宿、Hotel Slavova Krepost もその一つ。希望者にはワインセラーを見せてくれるということだったので、夕方、
ブルガリア南西部の村、メルニックでたっぷり食事をした後は、村を散策しました。ホテルの青年、アントワンに教わった通り、まずは、Bolyaskata Kashta という遺跡を探しました。ここは、ブルガリア最古の家の一つで、10世紀に建てられたものが
ブルガリア南西部のメルニックは、ギリシャとの国境までに20キロほどの地点にある村です。なぜここに来たかというと、奥さんがブルガリア人だという夫の仕事仲間のイタリア人が推薦してくれたからです。海外ではそれほど知られていませんが、切り立った砂岩の山を背景に、干上がった川の両側に
今回のブルガリア旅行、首都のソフィアは以前、ツアーで観光したことがあったので、あらためて観光するつもりはありませんでした。でも公共の交通機関網の関係で、いちいちソフィアに戻って一泊しなければなりませんでした。で、泊ったのは中央駅やバスステーションに近い
ブルガリアのプロヴディフ旧市街の観光で、最後に見たのは、ローマ劇場です。このローマ劇場は、プロヴディフ観光の目玉とも言えるところで、私が前回、奇妙な遺跡ツアーでこの町に来た時にも、ここにだけは連れて行ってくれました。紀元2世紀にトラヤヌス帝が建てたもので、ガイドブックによると、
ブルガリアのプロヴディフ旧市街の観光の日、そろそろお昼時になりました。仮装写真店の主人が推薦してくれたRahat Tepe というレストランへ。目抜き通りのSaborna通りの突き当りで、この日の朝、訪れたネベト・テペの遺跡の麓にあります。入口は普通サイズなのですが、入ってみたら、
ブルガリアのプロヴディフ旧市街の観光に一息ついて、地味な土産物店に入ってみました。あまり整然としていない店内に、工芸品が適当に置かれている店でした。店主も朴とつとした人で、英語を話さないのかなと思ったのでしたが、私が日本人だと分かると、「以前にも日本人が来たよ」と言って
ブルガリア第二の都市、プロヴディフでの最終日は、旧市街の観光に充てました。まずは、たまたまホテルの目の前にあったので、薬局博物館に入ってみることに。なぜか、そわそわしていたおばさんが、ざっと案内してくれました。ここは19世紀後半から20世紀半ばまで、
ブルガリア第二の修道院、バチコヴォ僧院からプロヴディフに帰ってきました。バスステーションから町の中心までかなり歩いた上、バチコヴォでのバス待ちで疲れていたので、どこかで一服したい気持ちでした。それで、雰囲気の良いカフェを求めてうろうろ。遺跡を覆っている
ブルガリアのバチコヴォ僧院からの帰り、参道に並んでいた食堂の一つで軽いランチを取りました。ビストロ・アブデラという名前です。いくつかあった食堂の中で、なぜこれにしたかというと、赤いテーブルクロスが手招きしているように感じられたからです。ブルガリアの中では有名観光地である
ブルガリア第二の修道院、バチコヴォ僧院の続きです。博物館で、僧院のお宝を眺めた後、ふと見たらクジャクが。修道士が飼っているのでしょうか。それから、階段を上って修道士の居住空間と思われる木造りの廊下を歩きました。非常に整然としていて、ホテルのようでした。その場には
ブルガリアのプロヴディフからミニバスでバチコヴォ僧院に行きました。ガイドブックには、40分かかると書いてありましたが、それほどかかりませんでした。降ろされたのは道端のバス停で、時刻表さえありません。私達は帰りのバスのことが非常に気になっていたのですが、
ブルガリアのプロヴディフでの二日目は、この近所の観光名所であるバチコヴォ僧院に行くことにしていました。前日、観光案内所で11時のバスがあると聞いていたので、それに間に合うように出かけました。ホテルがある旧市街の目抜き通りSaborna通りを下り、前日歩いた
あまり知られていないようですが、ブルガリア第二の都市、プロヴディフはヨーロッパの中でも歴史的に重要な町の一つだったらしいです。有名なアレキサンダー大王のお父さんのフィリッポス2世が征服して発展した町であるため、別名をフィリッポポリスといいます。私達は、その名も
ブルガリアのプロヴディフで、ホテルに荷物を置いた後、レストランを求めて町に繰り出しました。早朝に空港で食べたクロワッサンが最後だったので、腹ペコだったのです。例によって、夫がネット検索で見つけたレストランを探しました。プロヴディフ旧市街の、
東京ステーションホテル楽天トラベル【楽天1位】【ホルダー強化!】ストラップホルダー 肩掛け ストラップ スマホ 斜めがけ ストラップ ショルダーストラップ …
ブルガリアの第二の都市、プロヴディフで泊まったホテルは、Boutique Hotel Boris Palace という名前で、旧市街の真っただ中にあります。こじんまりしたホテルで、家族経営らしい趣。私達の部屋は、建物のてっぺんで、かなり
無茶振りしてごめんね その1 ギター弾きながら 『これからオーストラリアへワーホリしに行くよ!』 と子供たちに話してくれた愛知からの旅人さん。 1年後会えるのを楽しみにしてるよ。
今年のイースターは、ブルガリアに行きました。私達は、イースター休暇には、正教の国へ旅行することに決めています。というのも、正教はイースターの時期が西欧とはずれているので、お祭りなどで着飾っていない普段の姿が見られるからです。イスラム教や仏教などの
ロンドンから西へ50キロ余り行った所にあるマーローにはテムズ川が流れています。そして、そこにちょっと見目の良い吊り橋がかかっています。橋自身も美しいし、そこから見るテムズ川の光景も一見の価値あり。行ったり来たりして、
2024秋インド㉘Googleマップ通りに進んだらスラムに出た。
2024秋インド㉗まっずい夜ご飯とまっずいフレッシュジュース
幾何学もようの壁とメスカル・後編【ミトラ遺跡】
2024秋インド㉖世界遺産ラニ・キ・ヴァヴ
東南アジア放浪してきた。~day2~ @バンコク
東南アジア放浪してきた。~day1~ @バンコク
東南アジア放浪してきた。~day6~ @クアラルンプール/シンガポール
東南アジア放浪してきた。~day5~ @クアラルンプール
2024秋インド㉕親切とお節介は紙一重。
幾何学もようの遺跡とメスカル・前編【ミトラ遺跡】
オアハカで本物のショコラテを【メキシコの飲み物・後編】
2024秋インド㉒賄賂は通じないUparkot Fort
2024秋インド㉓面白さより快適さを求めるお年頃
2024秋インド㉔24年前のアーメダバードの思い出を日記と写真で振り返る
緑色の屋台のジュース【メキシコの飲み物・中編】
今度こそ天気予報が当たって天気が良かった日曜日、ロンドンから西に50キロ余り行ったところにあるマーローという町を訪れました。大昔、仕事で行った時に良い印象を持っていたのに加え、この辺りが私達がよく見るテレビドラマ
今回、ウィッツタブル(イングランド南東部の海辺街)で予約していたのは、Birdies というフレンチ・レストランでした。この町のメインストリートであるHarbour Street に面している家族経営のこじんまりしたレストランで、
天気が良好だという予報を真に受けて、1月後半のある日曜日、イングランド南部の海辺の町、ウィッツタブルを再訪しました。ところが、天気予報が外れて、この上なく、どんより。ウィッツタブルは前回に続き、またも灰色の世界でした。鉄道駅から前回と同じ道をたどり、途中で
翌日は、ポルトガル北部のポルトから首都リスボンに戻ってきました。2週間超に渡ったポルトガル滞在もとうとう、大詰めです。列車の窓から見えたポルトの姿に「また来る日まで」と別れを告げたのでしたが、「また来る日」があるかなあと思って
ポルトガルのポルト滞在を始めてすぐの頃、観光案内所の人が「これだけは外してはいけないスポット」に挙げたサン・フランシスコ教会を訪れました。旧市街の川沿いから少し入ったRua do Infante D. Henrique という通りにあります。入場料はパンフレット付きで、
ポルトガルのポルトには、「世界一美しいマクドナルド」なるものがあります。トゥクトゥク・ツアーの時に、そのことを知ったのですが、「ふうん」程度で、特に興味はありませんでした。けれど、この日、小腹が空いた時、なぜか甘いものを食べる気がせず、「じゃあ、いっそのこと、
ポルトガルのポルトでの翌日は、どんより曇って寒い日でした。ポルトガル滞在中にお馴染みになったスーパーのPingo Doce に行く途中、道筋の近所に有名なマジェスティック・カフェがあるのが分かったので、寄ってみることにしました。うーん、確かにゴージャス。入口に門番(?)が立っていて
ポルトガル北部の町、ポルトに滞在中、何度も暗くなってから散歩に出かけました。たいていは、ドウロ川沿いの賑やかなところへ。有名なドン・ルイス1世橋が工事中で、ちょっと残念だったのですが、歩行者は通れました。といっても、工事の部分は、ビニールで覆われて外が見えない状態を
ポルトガルのポルトから郊外のマトジーニョスへ、シーフードを食べに行きました。マトジーニョスはポルトの北10キロぐらいのところの海辺にある港町です。最初は、ポルトのドウロ川河口の対岸辺りにあるというシーフード街に行くつもりだったのですが、前日に乗ったタクシーの運転手が
ポルトガルのポルト滞在、まだまだ続きます。翌日の午前中、まずは泊っていたエアビーアンドビーの近所にある大聖堂を見学することに。トゥクトゥク・ツアーでは待ち合わせ場所になっていた大聖堂ですが、まだ中には入っていなかったのです。入るのに一人€3かかりました。大聖堂はポルトで
ポルトガルのポルトで迎えた2022年。お正月当日はのんびりする予定で、唯一、決めていたのは、和食のランチです。お正月ですからね、なんとなく和食のムードです。ネットで検索して予約したのは、Wish Sushi という名前が怪しげなレストラン。ずいぶんと川を下って、
ポルトガルのポルトから出発したツアー、午後にはギマランイスへ行きました。ガイドのクラウディアの発音だと、ギラマエシュと聞こえたのですが、日本語の表記はギマランイスというようです。ここは、ポルトガル発祥の地と言われる世界遺産。初代の国王
ポルトガルでは「ブラガは祈り、コインブラは学び、ポルトは働き、リスボンは遊ぶ」と言われているというのは、今回のツアーのガイドさん、クラウディアから習ったことの一つです。その祈りの町、ブラガにはたくさんの教会があるのですが、その中でも最も重要なのが、次に私達が訪れた
ポルトガル北部の町、ブラガへのツアー、次に行ったのはボン・ジェズス・ド・モンテ聖域という巡礼地です。エスピーニョ山の頂上にあり、割と最近の2019年にユネスコ世界遺産に登録されたのだそうです。巡礼者のために、この付近に4つのホテルもあるとのこと。教会は1811年に完成したもので、
この日はバスツアーに乗っかって、ポルトガルのポルトから北へ向かい、ブラガとギマランイスを訪れました。集合時間8時半と聞いていたので、その前に行ったら、本当は8時45分だとのこと。時間が空いたので、集合場所の近所にあるサン・ベント駅を見に行きました。前にも見たことのある
ポルトガルのポルトでのトゥクトゥク・ツアーが、ガイア側の丘の上で終わった後、ドン・ルイス1世橋を渡ってポルト側に戻りました。12年前に来た時にも何度か往復した橋ですが、今回は何しろ天気が良いので、見晴らしの良さもひとしお。写真がたくさん撮れました。ドン・ルイス1世橋の影が、
ポルトガル北部の町、ポルトで乗ったトゥクトゥク・ツアーの後半です。ドウロ川沿いの高台に出て記念写真。その時学んだことですが、川に並ぶ古い木造の船は、その昔、人や物品を運んだラベロ船で、今はもっぱら観光客用のお飾りですが、年に一回、
ポルトガル北部の町、ポルトでの二日目には、町を巡るトゥクトゥク・ツアーを予約しました。トゥクトゥクで観光するのは、数年前のリスボンに次いで、二度目です。ツアーは午後からなので、午前はスーパーに買い出しに行きました。真っ青な空がありがたい朝の散歩。スーパーでは夕食用の魚介類やワイン、
ポルトガル北部の町、ポルトのエアビーアンドビーに荷物を置いて、さっそく町に繰り出しました。というのもお腹が空いていたからです。いつものように、夫がネットで見つけたドウロ川沿いにあるレストランを目指しました。私達のエアビーが面していた通り、
さてこの日は、ポルトガルのリスボンから北のポルトへの移動日です。今回は、旅の後半をポルトで過ごし、その周辺を巡ることにしていました。ポルトへの列車は、数日前にエヴォラに行った時と同じオリエンテ駅から乗ります。意地悪なリスボン、私達が去るせいか、
ポルトガルのシントラからリスボンのロシオ駅に戻り、そこからタクシーで我が家(エアビーアンドビー)の近所の国会議事堂まで行きました。ここから目指したのは、以前から目を付けていたお総菜屋さん、Naco。肉類、ソーセージ類、チーズ、ワインなどが満載で、
ポルトガルのシントラの町の真ん中にあるシントラ宮殿は、山の上のペーナ宮殿に勝るとも劣らないエキセントリックな宮殿でした。例えば、入って割とすぐにある「白鳥の間」(表紙の写真)。天井いっぱいに白鳥の絵が描かれているのです。数えませんでしたが、ガイドブックによると、
ポルトガルのシントラ郊外の山頂にあるペーナ宮殿は、赤と黄色の派手な色とごてごてっとした形が特徴です。私達が訪れた日は、比較的天気が良好な日のはずで、傘を持たずに来たのでしたが、ここに着いたら、霧雨が降りしきっていました。じっとりと濡れるタイプの雨です。このおかげで、
ポルトガルのエヴォラで、美しい骨のチャペルを見学した後は、ランチの時間です。夫がネットで目を付けていたレストランを目指して、雨の中を歩きました。エヴォラは10年ぶりです。白い壁に黄色い縁取りのある家が多い街並みで、なかなか絵になる光景。懐かしい気分になった半面、
ポルトガルのアレンテージョ地方の町、エヴォラに行った日は、これまでの中でも一番、天気が悪い日でした。エヴォラの駅に着いて、タクシーに乗ろうと思っていたのですが、一台もいません。それで、携帯の地図に頼って歩くことに。携帯の情報によると、確か、
fgaerc
片手生活の大変さを知ってもらいたくて始めます
富山の観光地・グルメをブログやYouTubeで紹介! 富山へ旅行にお越しください!
ラスベガス好きが集まって、情報をシェアでる場になると嬉しいです!
小学生でも読みやすいようにフリガナを多めにしたり、情報を噛み砕いてわかりやすくのせています。 全世界196ヶ国完成までお楽しみに🤘
ヨーロッパの世界遺産のご紹介を、よろしくお願いします! ヨーロッパは世界の世界遺産ランキングにおいて、 1位イタリア、3位ドイツ、4位スペインとフランス、8位イギリスと10位以内の国が5つもあり、世界的にも世界遺産が多い地域となります。 たくさんの方の投稿をお待ちしています!
最近新しいホンジュラスの大統領が決まりました。今までの大統領が好きな事ばかりして国の政策を何もしなかった事より国民の不満が募り、今回は女性の大統領となりました。何か新しい政策が行われるでしようか?
旅行や仕事などで海外、国内の旅ブログです。ちょっとした豆知識やおすすめをご案内です!(´ー`)
本場ドイツのクリスマスマーケットを紹介して下さい。 現在コロナ禍で欧州旅行が難しい日本の皆さんに、ドイツのクリスマスマーケットをご紹介して少しでも楽しんでいただけたら、と思います。
30年程前の旅行の話 かこの病気の話。